西日のさし傷

灯零(いぬかい)の雑記。心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなくかきつくる場所。

さし傷 1

 中学か高校の頃から使っていたカーペットを捨てることにした。

 

 起床して数時間は初夏のような空気を部屋いっぱいに取り込んで、サンキャッチャーから撒かれる七色の散乱光を浴びて、これ以上にない「日曜の午後」を過ごしていたけれど、そのうち暑さにやられ始めてもっと早く夏を感じたくなってしまったから、時間のあるうちに模様替えでもしてみるかといった感じで前々から考えていたことを今日実行することにした。

 

 さて、どうやってこいつを捨ててやろうと中心付近の毛束が完全に寝てしまっているオレンジのカーペットを見つめた。7年ほど踏み洗いを繰り替えし延命しつつ、苦楽も寝食(度々何か零したり撒いたりしていたので)も共にしたこいつと別れる時が来たのかと思うと妙に感慨深かったけれど、捨てることに対しては不思議と躊躇いはなかった。

 

 作業はまずカーペットの捨て方を調べるところから始まった。

 

 うちの自治体が配信しているごみ分別アプリによると、カーペットは粗大ごみとして捨てる必要があり、費用として200~500円ほど掛かってしまう。しかし、60㎝未満に裁断している場合はその限りではなく、燃えるゴミにそのまま出せるという記述があった。 

 

 節約生活をしている身だったからなるべく出費を抑えたくて、小学生の頃に買った裁縫セット(一人暮らしでは割と出番がある)から裁ちばさみを取り出して、余裕をもって一画50cmの正方形にカーペットを切っていくことにした。

 

 予め付けておいた50㎝の印にはさみを添えて、右手に力を込めた。

 

 ざくり、と確かな感触を残して、断面の層になった梱包材に使われるような薄いマットと綺麗な白い綿が露になった。

 

 ふと、このカーペットを買ったときのことを思い出した。家庭の事情で引っ越した時、何もない部屋に炬燵と一緒に買ってもらったんだっけ。いや、もっと後だったか。はじめは肌触りのよさにはまってわざと炬燵で寝てよく身体をバキバキにしていた気がする。

 

 ざくり、ざくり、西日の中で静かに手を進めた。埃がきらきら部屋を泳いだ。

 

 目分の50×50を一画切り取る度に、色んなことを思い出した。

 

 ざくり。

 

 昔もよくうちには人が遊びに来ていた。今は連絡先すら知らない友人もいる。数人で集まって勉強会という名目で遊び倒していた期末試験期間。ゴム鉄砲でペットボトル倒しとか、くだらない遊びが楽しかった。成人式で再会したとき、自分以外がみんな「知らない大人」に見えて悲しくなった記憶がある。

 

 ざくり。

 

 別居していた兄弟。今は当時からは考えられないほど仲がいい。度々母の家に行って犬と戯れて兄と夜通しゲームして、家族で一息入れながら夜中に語り合ったのはいい思い出だ。今は会える距離にいて何度か泊まりに行ったりしている。ほとんど話さなかった妹とも、花札で大差で負け越すくらいには仲良くなった。姉は同じ父方にいるけどよくわからない人だし、父方の人間はみんな嫌いだ。

 

 ざくり。

 

 高校の頃に亡くなった祖父。病室に着いた時にはもう亡くなっていたけれど、身体はまだ温かかった。自分の誕生日が丁度通夜になってしまって最悪だった。川釣りにもよく連れて行ってくれて。ギターのドレミを教えてくれたのも祖父だった。亡骸の横で下手なギター弾いてたけど、うるさくて眠れなかったらごめん。

 

 ざくり。

 

 去年別れた女の子。

 このカーペットの上、二人で炬燵で寝落ちたり、並んでご飯を食べながら一緒にテレビを見たりしていた。自分の喜怒哀楽の大半を持っていて、誰よりも愛していて、何よりも大切な子。それを誰よりも伝えなければならなかったこと。負担ばかり強いてしまって何一つとして示せなかったこと。美談にしてはいけないと、今は前向きに頑張ってみていること。それを未だに見守っていてくれること。

 

 ざくり。

 

 今繋がっている友人達。

 地元から一緒に上京してきた腐れ縁のやつら。遠方にいても一緒に音楽やろうとしている君。

 絵と音楽と創作が繋いでくれた縁。初めてまともに触れてみたエレキギター。ライブで感じた羨望と陶酔と仄かな希望。居心地が良過ぎてたまに怖くなってしまうほどの新しい場所。まだまだこれからの、未開拓の明日。立ち竦んでしまうこともたくさんあるけれど、それでも生きることを諦めきれない理由の数々。

 

 ざくり、ざくり、ざくり、ざくり。

 

 春と夏の間で、一辺50cmの正方形を思い出とともに切り取った。

 

 未練との決別、今日という日の自分の存在確認、色んな意味を込めて、一裁ちずつ大切に、丁寧に。

 カーペットを切り進めるその度に、溜まった淀みを吸い取られていくような感覚があった。

 

 夕方の喧騒、年中吊るしている風鈴の音がぬるい風と混ざり合って、片付いた部屋からはどことなく夏の匂いがした。

 

 すべて切り終えて、ごみ袋に詰めた。そのまま抱きしめて「ありがとう」と言った。使い込んだボロボロのカーペットに自ら引導を渡すことで、行き場の無かった思いも漸く看取れた気がして、少しだけ泣きそうになった。

 

 今週から新しい生活が始まる。環境が変われば人も変わる。

 

 人が変われば多分こんな世界も、君も、あの子も、また違った風に見えてくると思う。

 

 その良し悪しは分からないけれど、そういう「予感」は結構好きだ。

 

 また夏が来る。それまでにはもう少し大きくなっていようと思った。